「現代の呪い」があなたを支配する。仕事、結婚、子育て “やりづらさ” の正体


人の心というものは、さまざまな慣習、偏見、思い込みにとらわれやすい。たとえば未婚者を「負け組」と呼んで見下す、あるいは、女性は痩せているほどに美しいと思い込み、極端なダイエットに走ってしまう。

結婚せずとも人にはそれぞれの幸せがあるはずだが、思い込みに縛られるあまり、窮屈な価値観の中に自分や他人を閉じ込めてしまう。それは、現代社会にはびこる「呪い」のようなものかもしれない。私たちはなぜ、こうした「呪い」にかかってしまうのだろうか? 精神科医の春日武彦氏に話を聞いた。
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精神科専門医として約30年にわたり臨床に携わってきた春日医師。診察に訪れる患者のなかには、重度の「呪い」にかかっているケースが見られるという。

「顕著な例としては拒食症の患者。外見が老人のように衰弱してもなお、執拗なまでに体重にこだわってしまう。明らかに不健康で美しさとは程遠い姿が鏡に映し出されても、正常な認知・判断ができない。『痩せているほうが魅力的』という呪いに、心の奥底まで支配されてしまっているわけです」(春日医師、以下同)

それは極端な例かもしれないが、人は誰しも多かれ少なかれ何かしらの思い込みに心をとらわれていると春日医師は指摘する。

「たとえば代々医師の家系で、周囲から医師になることを期待され、プレッシャーを受けて育ったとしましょう。仮になれなかったとしても、他にやりたいことを見つけてうまく方向転換できればいいのですが、幼少期から刷り込まれた呪いにとらわれ、自ら将来の道を狭めてしまうことがあります。

医師の代わりに病院の事務で働いたり、薬剤師になったり、中途半端に医療の道にしがみついてしまう。そして、屈託を抱え続けてしまう。どちらが上ということではなく、医師の夢が叶わなかった妥協策としてそれを選んでしまうことが問題なんです。表面上は平静を装っていても、心の中では挫折感や劣等感から抜け出せずに苦しんでいる人は大勢います」

社会に「呪い」が生み出されるメカニズムとは?

自らを苦しめ、人生を不自由にしてまで、なぜそうした呪いに支配されてしまうのだろうか?

「人間は、ある程度の束縛があったほうが安心感を得られます。たとえば、いきなり自分の背丈ほど大きなキャンバスにためらいなく絵を描けるという人は少ないでしょう。過度な自由は人を困惑させますし、耐えがたいものです。だからこそ、社会には私たちを縛るスタンダードな共通認識が必要になる。

『痩せているほうが美しい』『子は代々の家業を継ぐべき』といった考え方もそのひとつです。そうしたスタンダードに縛られていたほうが一時的にはラクなので、そこから外れた生き方もあると想像することはできても、実際に外れることは難しいわけです」

思えば、社会にはそうしたスタンダードが無数に存在する。それら全てが、呪いを作り出す根源になり得るのかもしれない。

「人間社会にとって“共通認識”はコミュニケーションの基本。とりあえず、スタンダードなものを決めておかないと不便なんです。しかし、その“とりあえず”が同調圧力によって絶対化し、いつしか『呪い』と化してしまう。古くからの慣習などは、とりあえずの共通認識が歴史の重みによって権威付けされた、呪いの最たるものかもしれません」
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大事なのは「呪い」を受け入れ、上手に手なずけていくこと

では、そうした呪いがもたらす苦しみから逃れるためには、いったいどうすればいいのだろうか?

「残念ながら社会の中で生きる以上、呪いを完全に切り離すことは難しいと思います。その前提のうえで大事なのは、呪いを“拭い去る”のではなく上手に折り合いをつけ、うまく“手なずけていく”こと。先ほどの拒食症患者のように痩せることが人生のテーマになっている人であれば、その呪いをとりあえず受け入れ、しかし、痩せることは“目的”ではなく“手段”ではなかったのかと、改めて考え直してみることが大切でしょうね。

ほかにも、『子どもがなかなかできず、親族からの視線が痛い』『同僚に仕事で差をつけられて辛い』、さまざまな呪縛があることでしょう。そんな時、現状を全面的に肯定するのは難しくても、『しょうがないよね』と“苦笑い”できるようになってほしいと思います。自分をごまかすのは卑怯なことではなく、心穏やかに生きるための知恵ですから」

社会を円滑に回すためにも「ある程度の慣習や、共通認識としての思い込みは必要」と春日医師は語る。しかし、「それに過剰に反応して、苦しむことはない」とも続ける。

「呪い」に心を侵されるのは馬鹿らしい。苦笑いでやり過ごすくらいがちょうどいい。

取材・文:榎並紀行(やじろべえ)

春日武彦氏
1951年京都府出身。日本医科大学卒。産婦人科医として6年間勤務した後、精神科へ移る。大学病院、都立松沢病院精神科部長、都立墨東病院神経科部長等を経て、現在も臨床に携わる。医学博士、精神科専門医。甲殻類恐怖症。著書には『鬱屈精神科医、お祓いを試みる』(太田出版)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎新書)、『臨床の詩学』(医学書院)等多数。

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