“1日1万歩で健康”のウソ 奇跡の「中之条研究」で判明

仕事は毎朝5時に始まり、夜9時過ぎまで接客、掃除、配膳、スタッフ指導などで旅館内を歩き回る──。

 ある老舗旅館の77歳の女将の万歩計の数値は、毎日1万歩を大きく超えていた。同年代と比べて、明らかに“健康的”な生活のはずだった。ところが、ある日職場で転んだ拍子に足を骨折してしまう。病院では、骨粗鬆症と診断された。

「1日1万歩で健康」というウォーキング推奨のキャッチコピーを地で行っていたのに、一体何が間違っていたのか。

「実は“歩けば歩くほど健康になる”という常識は大間違いなのです。万歩計に表示された歩数だけを見て、“1万歩以上だから大丈夫だ”などと安心していると、かえって健康を損なうリスクが生まれます」

 そう語るのは、東京都健康長寿医療センター研究所の青柳幸利氏(運動科学研究室長)だ。

 青柳氏は2000年から群馬・中之条町に住む65歳以上の住民を対象にした大規模追跡調査を行ない、身体活動と病気リスクなどの関係を調べる研究を続けてきた。冒頭の女将も、その「中之条研究」の対象者のひとりだった。

「1997年に留学先のカナダから帰国した際、日本では筋トレがブームになっていましたが、実際にどの程度の運動をすれば病気を予防できるかという客観的な指標がほとんどなかった。そこで大規模な疫学調査を自力で始めようと考えました」(青柳氏)

 試験的に始まった中之条研究はスタートから17年が過ぎ、世界中の研究者から注目を集めている。

 同研究では中之条町で暮らす65歳以上の全住民5000人を対象に、運動や身体活動の状況、食生活、睡眠時間、病気の有無などを聞く詳細なアンケート調査を年に1回行なって、健康状態を綿密に調べる。

「こうした疫学研究で最も大切なのは、なるべく多くのデータを集めることです。中之条は私の生まれ故郷で縁者が多く、協力をお願いしやすかった。通常の研究におけるアンケートは郵送で回答率が低く、健康維持に意欲的な人の意見が集まりやすいなどのバイアスが生じますが、中之条では町役場の人が1枚ずつ住人に手渡しており、99%という驚異的な回収率を誇っています」(青柳氏)

 回答者のうち2000人に詳細な血液検査や遺伝子解析を実施。また、全体の1割にあたる500人には、調査のカギとなる「身体活動量計」を着用してもらう。

 身体活動量計はもともとクジラやイルカなどの生態研究に使われた装置で、加速度センサーを内蔵。「歩数」だけでなく、運動の「強度」まで測定できる。

「従来型の疫学調査の手法に加えて、活動量計を携帯してもらったところがこの研究のオリジナルです。入浴時以外は24時間365日、活動量計を腰に装着してもらい、長い人では17年間つけっぱなしです。米国で発表すると、必ずといっていいほど“お前たちは宗教団体か”といわれます(苦笑)」(青柳氏)

 参加者は月に1度、指定の拠点に活動量計のデータを提出し、前月と比較しながら生活習慣についてのアドバイスを受ける。

 17年にわたる調査中に亡くなる住民もいるが、毎年、新たに65歳になった住民が加わって研究の規模を維持する。

 中之条町保健環境課(保健センター)の唐澤伸子課長はこういう。

「最初は少しずつ住民の皆さんに協力をお願いするところから始めました。近年は、青柳先生の研究が進んで成果も形として見えてきたので、町としても調査結果を住民の皆さんの健康づくりに利用させてもらう取り組みを充実させようとしています」

 1つの町の住民全員を対象に365日、ほぼ全活動を長期にわたって追跡する研究は世界でも他に例がなく、海外で「奇跡の研究」と讃えられているという。

◆「8000歩、20分」の法則

 蓄積された膨大なデータからは、これまでの常識と異なる数々の知見が得られたという。たとえば、青柳氏はこの研究によって、「運動するほど健康になる」という認識が誤りであることを示す事例を数多く見てきた。

 冒頭の女将の例がそうだ。1日1万歩以上でも骨粗鬆症になったのは、毎日の歩行の「強度」に問題があったからだと青柳氏はいう。

「女将は和服で一日を過ごし、宿泊客にうるさく思われないようにいつもすり足で、小股で音を立てないように歩いていました。歩数は多いけど、息があがったりは絶対にしない運動の強度だった。そうすると、どれだけ歩いても健康にはなれません。彼女の場合は、常に館内にいて日光に当たらなかったことも骨を弱くした原因の一つです」

 その反面、強度の高い「激しすぎる運動」も健康を害するとわかってきた。

「メタボ対策のため40代でトライアスロンを始めた男性は9度目の完走を目指すレース直前に太ももの内側やふくらはぎに違和感が生じて、手足がしびれるようになった。診断の結果は動脈硬化。激しい運動によって発生した活性炭素が血管を傷つけ、修復が間に合わずに細くなった血管に大量の血が流れて詰まったことが原因です。

 このような激しすぎる運動で生じた活性酸素が遺伝子に傷をつけ、糖尿病や認知症、がんといった重い病気のリスクが増すこともあります」(青柳氏)

 もちろん「運動をしないほど健康になる」ということではない。

 中之条研究で蓄積された膨大なデータから明らかになったのは、「歩く“量”だけでなく“質”にも注意を払うべき」ということであり、「歩数が多いほどいい、運動は激しいほどいい、という考えは誤り」だという新常識である。

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