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そもそも「ブラック企業」という概念は、いつ頃生まれたのか?

従業員に過度の残業を強いたり、正当な残業代を支払わない企業を「ブラック企業」と総称することは、今ではすっかり一般的になりました。しかし、メルマガ『j-fashion journal』の著者でファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんは、今より遥かに労働環境が劣悪だった1950年代にブラック企業という概念はなかったと指摘。この概念は社会情勢の変化により、人々の「企業」というものへの考え方が変わったことで生み出されたものだとの持論を展開しています。

ブラック企業という概念は、どのように生れたか

1.サラリーマンと職人

今は、サラリーマンになることが当たり前の時代だが、1950年代はサラリーマンはエリートだった。サラリーマンのイメージは、背広を着て鞄を持って会社に行く姿だ。小学校に上がったばかりの私の記憶では、近所で見かける背広の後ろ姿はとてもカッコ良かった。私は東京墨田区の生れだが、ほとんどの家のお父さんは中小企業の経営か、中小企業の下請けか、中小企業に務める商人か職人だった。

今でこそ「職人」はほめ言葉だが、当時は職人と呼ばれるのを嫌った人も多かった。手に職をつけた職人は、働き口に困らなかったし、条件の良い勤め先が見つかれば転々と勤め先を替える、その日暮らしの人が多かったからだ。サラリーマンになるには、大学を卒業し、大企業に就職しなければならない。そうすれば、月々決まった給料を受け取れる。終身雇用なので、定年まで一つの会社に勤めることができる。

サラリーマンがエリートだった頃は、日本のために仕事をしているという気概を持っていたと思う。「会社の目的は利潤の追求」でも、会社が利益を上げることが国を豊にすることであり、それが国民の幸せにつながるというイメージが定着していたのだ。そんな時代に「ブラック企業」という概念はなかった。ブラックな人は今より多かったし、私利私欲のための会社もあった。

今では反社会的存在と定義されている「やくざ」も社会的に認知されていた。不良の受け皿や警察との連携など、ある意味社会的な機能も果たしていたと思う。

当時の社会は、現在より多様であり、同調圧力も今ほど強くなかった。

2.パンピーのリーマン

大学への進学率が上がり、スーツがユニフォーム化するにつれ、サラリーマンはエリートではなく、普通の人になっていった。
パンピー(一般ピープル)のリーマン誕生である。経済成長と共に、社会は清潔になり、均一になっていった。社会的規範が明確になり、同調圧力が強くなっていった。

バブル崩壊と共に、経済成長は止まった。そして、リストラが起こり、終身雇用も崩壊していった。新卒の採用を見合わせる企業が増え、就職氷河期を迎えた。かつての多様な社会が残っていれば、サラリーマン以外の道も簡単に選べただろう。しかし、清潔で均一な社会において、選択肢は少ない。もし、社会のレールから外れてしまえば、犯罪に手を染めるしかない。

リストラを経験したサラリーマン、就職氷河期を経験した若者、非正規雇用で働く若者は、かつてのような企業への信頼感を持つことができなくなった。会社は人生をかける対象ではない。生活のために必要な収入を得る場である。仕事人間が減少し、自分の趣味に生き甲斐を見出す人が増えるのも当然である。

「ワークライフバランス」という概念が生れたのは、会社観、仕事観の変化によるものといえるだろう。

3.ブラック企業という概念

私が勤めていたアパレル企業は、現在の基準でいえばブラック企業だった。毎日残業するのが当たり前であり、残業手当もなかった。現在との違いは、全員正社員だったことだ。社員の格差はなかった。毎日残業し、その後で飲みに行って、午前様で帰宅するという人は珍しくなかった。

「ブラック企業」という概念が生れたのは、非正規雇用が増えてからだ。仕事の内容は正社員と同じでも、身分の格差で、給料には大きな格差がある。企業への忠誠心が生じるはずもなく、生活のために労働を切り売りしている感じだ。

そんな境遇で、残業手当が支払われない、不当なノルマを与えられる、ということになれば、会社への不満が爆発するのも当然だろう。正社員の意識も変わっている。会社との関係は雇用契約によるものであり、契約を遵守しない企業はブラック企業と認識される。

4.個人単位の独立採算制

時代の変化と共に、社会通念としての仕事観、会社観は変化する。様々な世代が混在する会社組織の中では、それが統一されていない。年長者が自分たちの若い頃の常識を、現在の若い世代に押しつけると拒絶される。価値観が違うのだ。

若い経営者のICT系企業は、楽しい会社を目指している。フレキシブルで居心地の良いオフィス。個人の生活を尊重し、個人の自主性を育てる。個人のキャリアアップを会社が支援する。副業や独立を認める。仕事を生活と対立させるのではなく、生活の一部として仕事や会社を位置づけようとしているようだ。

「会社は利潤を追求する機関」なら、どんなジャンルの仕事をしてもいい。フレックスタイムでも在宅勤務でも、利潤さえ上げればいいのだ。独立採算制を突き詰めれば、事業部単位から個人単位の独立採算制になるだろう。但し、間接部門もあるので、収益の一部は全社的に配分しなければならない。

組織やマネジメントの問題も、自由にプロジェクトチームを作り、プロジェクト毎の独立採算にして、参加メンバーで配分するルールができれば、組織図すら必要ないだろう。間接部門や中間管理職が増えることは、企業の競争力を低下させる。こうした役割は、AIが担うようになるだろう。

会社は、個人のやりたいことを発見し、それをビジネス化するための装置であり、人的データベースになればいい。副業が認められるならば、複数の会社の仕事をすることも可能である。一つのプロジェクトチームでは、月5万円の収入しか得られなくても、10のチームに所属すれば生活ができる。

旅行に行きたければ、旅行先で出来る仕事を提案したり、募集すればいいのだ。個人は自分の生活を設計することが求められる。会社もそれを支援する。それが実現すれば、ブラック企業という概念は過去のものになるに違いない。

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