幸せ呼ぶ猫神の呟き ゴミ出しは家事か?
                 


ゴミ出しは家事か?

共働き家庭での男性の家事参加についての資料を眺めているのだが、申し訳ない、素朴な疑問をひとつ。ゴミ出しって家事なの?

いや、家事ではあるのだけれど、それはゴミ出しをやっているから、家事をやっているとまで言えるほど、時間のかかる、難しい作業なのか?ということである。

たとえば、食事の支度、後片付け、洗濯や掃除などと比べて、これを同レベルの作業として挙げるのはどうなの?ということである。

自分で収集日に合わせて家中のゴミをピックアップするところから始めているなら、家事を分担していると言ってもいいとは思うが、妻がまとめて玄関に用意したゴミを出勤時にゴミ収集場所に運ぶ作業をして家事というのは、あまりに夫に甘すぎる。

ひょっとして統計を取る際、あまりに夫が何もやっていないという結果になると困るから、項目としてゴミ出しってのを作ったんじゃないかと思ったりするほどだ。

ところで、これに関連して思ったことがある。子どものお手伝いである。

できた料理をキッチンからテーブルに運ぶ、皿を下げるといった簡単な作業から始まり、年齢が行くに従い、高度な家事もこなすようになるわけだが、あれはいつ、お手伝いから家事になるのだろうか。

個人的には言われた作業をその通りにやる段階から、自分で主体的に計画してやる段階に入ったところからだろうと思っている。

私自身、今でも覚えているが、小学生に入ってすぐの土曜日に昼ご飯を作ったことがある。

それまでは、あれをやりなさい、これをやりなさいという母の言葉に従っていただけだが、その日は母からもらったお金を持って自分で買い物に行き、献立を考え、家族分の昼食を作った。ちなみに献立はパンとオムレツ(もどきというのが正しい)、ソーセージとグリンピースのスープ。

ひどく、大人になったような気がして楽しく、開業時に猿回しが来たことからお猿のマーケットと呼ばれていた近所のスーパーでの買い物の情景などをいまだに思い出すことがある。

その楽しさがあったからだと思う、以降、家事が好きになった。仕事を持つ今でもご飯を作り、洗濯をし、掃除をするのが嫌いではない。それは、自分で家の中の作業をマネジメントしているという感覚が仕事と共通していて、面白いからだ。

初めて勤めた会社で上司に「なんだ、仕事って家事みたいなもんですね」と言ったことがある。

我が家は4人姉妹で晩ご飯の支度、片付けは子どもたちでやることが多かった。昔の家の、ガスコンロ2口、作業スペースのほとんどないキッチンで、家族6人分の夕食を作るのは段取りが勝負。

妹たちに皿を出して、これを洗ってと指示しながら、自分も手を動かして作業するのは、締切、予算があって、多くのスタッフと一緒にモノを作る、当時の仕事とほとんど同じ。

なんだ、楽勝!と思ったわけだが、上司は「家事ごとき(ごときですよ!)を仕事と一緒にするとは!」と答えた。内心、家事を馬鹿にするなよ~と思ったが、その当時、まだシャイだった私は反論しなかった。今なら、怒涛の勢いで反論するに違いない。

というように家事を捉えている身としては、家事の分担を、ゴミ出し、風呂掃除などと作業単位で考えることにあまり意味を感じない。言われてやっているのだとしたら、それは子どものお手伝いと同じ。全体をマネジメントする人の手間は省力化できてはおらず、それでは分担、つまり、分けて担うことにはならない。

本当に妻と夫がイーブンに家事を分担するのだとしたら、言われてやるのではなく、主体的にやる、そういうことでなくちゃおかしいよねと思う。

また、家事には作業として何かをやるだけでなく、生活必需品がいつも切れないように買っておくなど、意識として全体を見ているような部分もあり、実はそれが非常に大事だと思うが、この部分が統計などの項目とされることはほぼない。

数値化できないからだが、これ、たぶん、プロジェクトを成功に導くためのリーダーの役割とも似ていると思う。

プロジェクトの成功を振り返る時、たくさんコピーを取った人がいたからは理由にならないと思うが、言われてやっているゴミ出しは家事全体の中で、同様の意味を持つんじゃないかとも思う。

と考えると、どうですかね、家事ってけっこう深いと思うし、やらないのは損だと思うんですが……。

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