【森友学園問題】『Twitter』で反論 松井一郎大阪府知事「証人喚問に呼ばれないと行けない」

2017年3月24日に衆参両院予算委員会で開かれた森友学園理事長の籠池泰典氏の証人喚問。『ニコニコ生放送』でも、午前の参院で83336、午後の衆院で63361の来場があり、大きな注目を集める中、安倍晋三総理大臣の昭恵夫人に対して100万円の寄付があったことに対しての食い違いがあるなど、真相がまだ明らかになっていないままとなっています。

そのような中、籠池氏は小学校の認可申請を取り消しに至った件に関して、日本維新の会代表の松井一郎大阪府知事に「はしごを外された」と発言。これに対して松井知事は『Twitter』で反論しています。籠池氏は、僕にはしごを外されたと恨んでいるようですが、申請書類に虚偽記載濃厚となれば、手続きを見直すのは当然です。逆恨みはやめていただきたいものです。

松井とは、会ったことも無い。はしごは自分でかけた。かけたはしごは虚偽だらけ、でも、そのはしごを外した松井を恨んでる。何故、恨まれなければならないのか?意味不明です。証人喚問では、浅田均日本維新の会政務調査会長が「私としては松井一郎を証人喚問してもらいたい」という発言があり、ネットでも「国会の場で説明すべき」という声が多数寄せられていました。
それに対して、松井府知事は次のようにツイート。

様々な輩の皆さんから、SNSで反論せずに国会で説明せよ。との意見をいただいていますが、行きたくても、呼ばれないと行けないのです。これには「こんなことよりも府政の充実を」といった意見もありましたが、「浅田氏は輩だったのか」という声や「党の国会議員全員に証人喚問してもらうようお願いしては」「本当に行きたいならその旨を伝えるべき」といったリプライが殺到。『Twitter』ではなく、公の記者会見などの場で説明を求めるユーザーが多い模様でした。

また、自民党所属の原田亮大阪府議の百条委員会設置を求めるツイートに対しては、以下のように一蹴。
君、何度も言ってるけど、売名目的のつきまとい炎上商法はやめなさい。この引用リツイートはプレゼントです。
これに対しても、賛否両論のリプライが多数寄せられていました。

籠池氏だけでなく、各党の思惑が入り乱れての混戦の様相を見せてきた森友学園問題。国内外の諸問題を差し置いて時間を割いて議論を続けることそのものについても是非を問われることになりそうです。

証人喚問でも食い違う主張。森友学園「茶番劇」の発端は何なのか?森友疑惑の淵源は安倍首相と維新の意気投合にあり

「森友学園問題」を巡り、23日に日本中が注目する中で行われた籠池理事長の証人喚問。同日掲載の速報ライブ記事「籠池理事長、証人喚問で昭恵夫人からの寄付や政治的関与に言及」でも既報の通り、籠池氏側と安倍首相夫妻との主張が食い違うなど、問題はさらに泥沼化の様相を呈してきました。

メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』の著者・新 恭さんは「森友疑惑の淵源は安倍首相と維新の意気投合にあり」とした上で、今回の証人喚問でも籠池氏が「ハシゴを外された」と名指しで批判した松井一郎・大阪府知事や、その府知事がやはり名指しで責任を転嫁したとも取れる発言を行った財務省の「不可解な動き」について詳細に分析し、問題の本質に迫っています。

森友疑惑の淵源は安倍首相と維新の意気投合にあり

2012年2月26日は、森友学園の運命を変えた日といえるかもしれない。

大阪の市立こども文化センター。ステージ上には、その年の12月に総理の座に返り咲くことになる安倍晋三氏と、大阪府知事に就任して間もない松井一郎氏の姿があった。

もう一人の登壇者は、このイベントを主催した一般財団法人「日本教育再生機構」の八木秀次理事長(麗澤大学経済学部教授)だ。

日本教育再生機構は第1次安倍内閣のころに発足、「道徳」の教科化を提言するなど、安倍氏の教育思想を支える団体である。

そのころ、松井・橋下体制の大阪府と大阪市では、教育における政治主導の明確化をめざす教育基本条例の制定にむけて議会の審議が大詰めにさしかかっていた。

司会役の八木氏から、大阪府市の取り組みについて考えを問われた安倍氏は、こう語った。

条例は閉塞状況にあった教育現場に大きな風穴をあけると評価している…日の丸掲揚、君が代斉唱に3回従わず着席をしたままという教師は分限処分の対象となるのは当然。愛国心を培い、日本人としてのアイデンティティーを育てるのは教育が当然やるべきことだ。

個人の自由とともに規範意識を重んじる個人の権利とともに義務を重んじる伝統文化を深く理解し、愛国心及び郷土愛に溢れるグローバル競争に対応できる─そんな人材の育成をめざす

のが、大阪の教育基本条例だ。こうした理念は日本教育再生機構の次のような考え方と通底している。

かつて、日本の教育は、世界から絶賛される高い水準にありました。日本人一人ひとりの胸にある使命感や道徳心がその教育力を支えていたのです。しかし、今や見る影もありません。

道徳心や教育水準が「見る影もなく」低下しているのであれば、クールジャパンとか言って、日本人や日本文化の美点を世界に触れ回ることもできないだろう。海外からやってくる人々が日本人の礼儀正しさや規律を守る姿勢を賞賛することもあるまい。

ならば、この場合の「かつての日本」とは、戦前のことであろうか。道徳心とは「修身」教育によって養われた精神をさすのだろうか。

つまるところ、ステージ上の三人に共通する考えは、個人の自由や権利を主張するより、愛国心や使命感を持って国のため世界の競争に勝てる人材を養成することこそ教育の主目的だ、ということだろう。

イベントがあったその夜、安倍氏と側近の衛藤晟一氏は松井氏ら大阪維新の会の幹部らと大阪の居酒屋で、共通する教育観を語り合い、大いに意気投合したそうだ。

安倍氏がその後まもなく、橋下徹大阪市長と会い、維新との絆を深めていったのは周知のとおりだ。

実は、この時期、森友学園の籠池泰典理事長は大阪府からの吉報を待っていた。

財務基盤が弱く幼稚園しかない同学園には小学校設置に規制の壁が立ちはだかっていたため、2011年夏、大阪府に規制緩和を申し入れていた。

府は小中学校を設置した実績のある学校法人にしか借入金による小学校新設を認めていなかったのだ。

翌2012年4月、大阪府はこの審査基準を緩和した。森友学園は念願の小学校新設へ向け最初の障壁をクリアしたのだ。

松井一郎府知事は「外から私学にどんどん入ってきてもらうためにハードルの高い部分を見直した」と話すが、そのころ他に具体的な要望事例はなく、森友学園を念頭に置いた規制緩和であったことは間違いない。

森友学園の運営する塚本幼稚園が、戦前の「教育勅語」を園児に暗誦させる愛国教育を進めていることは当時からよく知られていた。

とくに自民党大阪府議団から右派思想の持ち主たちが飛び出し、人気絶頂の橋下徹氏をトップに据えて誕生した「大阪維新の会」にはウケがよかった。

森友学園が小学校建設への決意を固め、審査基準の緩和を大阪府に要望した背後で、維新の府議や、国会議員秘書らが蠢いていたことは容易に想像される。

むろん、維新の親分格である松井知事そのものが、まさに安倍氏の言う「教育現場に大きな風穴をあける」ための実績づくりとして、森友学園の愛国教育に目をつけていたことは確かだろう。

実際、大阪府知事の行動記録を見ると、2014年10月に森友学園が小学校設置認可を申請し、府私立学校審議会で「認可適当」との答申が出る2015年1月までの間、担当の私学大学課職員が頻繁に知事室に出入りし、松井知事と打ち合わせを重ねていたことがわかる。

たとえば森友学園が設置認可を申請した2014年10月だけでも、松井知事が私学大学課の課長らと打ち合わせをしたのは、10月7、8、20、21、22、24日の計6回にもおよぶ。

私学審議会で委員たちから設置認可に否定的な意見が多かったにもかかわらず、実務を担う私学課が無理な理屈を通して「認可適当」に誘導した背景に、松井知事の意思があったと考えるのは自然である。

条件が付きながらも「認可適当」との府の判断を受けて、国有地払下げの是非などを審議する2015年2月10日の国有財産近畿地方審議会でも、数々の疑問点がありながら、「10年間の定期借地、その間に購入」を了承するという、学園側への配慮の行き届いた判断を下したのである。

府の「認可適当」について、松井知事は、財務省からの要請を受けて出したものだという認識を示している。近畿財務局の役人が何度か大阪府庁を訪れて「認可の見込み」を知らせるよう求めていたらしい。

できるだけ国に責任を転嫁したいという松井知事の心理もうかがえるが、なぜか財務省が異様に焦っていたのも事実である。

財務省の役人が地方の役所に足を運ぶのは滅多にないという。そこまでして、森友案件にこだわる財務省を突き動かしたものは何か。

常識的には、安倍首相、あるいは麻生太郎財務相に喜ばれることをして、評価されたいという官僚のサガが働いていたと考えるべきだろう。

森友学園の籠池氏は、かなり前から政治家と付き合ってきた。2008年7月12日、塚本幼稚園で開かれた「教育再生地方議員百人と市民の会」第10回定期総会で基調講演をしたのは鴻池祥肇参院議員だった。

その案内チラシにはこう書かれていた。

次期総理に最も近いのが麻生太郎氏、その麻生氏に最も近いのが鴻池氏。しかるべき日には党で幹事長、または内閣で文部大臣。かなり可能性がある話だと思います。

ちなみにこの会合には、大阪市議、吹田市議、柏原市議ら大阪府下の地方議員が参加している。

麻生太郎氏は事実、その年の9月に総理大臣となり、鴻池氏は官房副長官に就任した。

国のトップにつながる人脈をつかみ、籠池氏は普通の人々なら持っているはずの、まっとうな感覚を失っていったのだろう。

2015年に小学校の「認可適当」が下りると、資金不足も顧慮せず、自分には大物政治家がついている、支援者も多い、寄付金はたんまり入ってくると錯覚して小学校建設に突き進んだと推察される。

この年の9月5日、安倍昭恵夫人が塚本幼稚園で講演し、新設小学校の名誉校長を引き受けたときは、天下をとったような気分だったのではないだろうか。かりに安倍首相から100万円の寄付があったとしたら、なおさらだ。

それだけに、この国有地払い下げにまつわる疑惑が、NHKやテレビ大阪のローカルニュースや朝日新聞の記事をきっかけに政権を揺るがす大問題に発展し、これまで協力的だった役所はもちろん、頼りにしていた政治家たちがいっせいに無関係を装って遠ざかったことは、籠池氏にとってさぞかしショックだっただろう。

籠池氏のもくろみは、ものの見事に砕け散り、巨額の負債を背負ったまま、小学校開校が見通せなくなった。頼りの寄付金も途絶えた。誰かの働きかけがあったのかどうか、認可申請を取り下げたものの、目下最大の危機である金銭面について救いの手が差しのべられた様子はない。

所属する日本会議からも嫌がらせメールが届き、孤立無援となった籠池ファミリーは、天敵だったはずの「日本会議の研究」著者、菅野完氏を頼るほかなくなった。昨日の敵は今日の友。人生、わからないものである。

このメルマガが届く23日、籠池氏は証人喚問に呼び出されている。幼稚園児に「安倍首相ガンバレ」とまで言わせて権力者の機嫌をとろうとした自らの愚かさを反省するとともに、都合が悪くなれば知らぬ存ぜぬを通そうとする政治家や官僚の真実の姿を、怒りに任せて、洗いざらいぶちまけてみたらどうだろうか。

塚本幼稚園のような教育を褒め称え、その小学校版を今の日本につくることが教育再生だと信じて疑わなかった国のトップ、大阪府の知事。その思いを汲み取って、特定の学校法人を異常に優遇した役人たち。彼らこそ、この国の根本を蝕む存在なのではないだろうか。

image by: とも子田中(GOOGLE MAPS)

『国家権力&メディア一刀両断』
著者/新 恭(あらた きょう)(記事一覧/メルマガ)

記者クラブを通した官とメディアの共同体がこの国の情報空間を歪めている。その実態を抉り出し、新聞記事の細部に宿る官製情報のウソを暴くとともに、官とメディアの構造改革を提言したい。

救急車の費用はニューヨークで5万円、日本は◯◯円!?  あらゆる面で日本の医療は世界一という知られざる真実!

 海外に出てみて初めてわかる日本の良さは、人それぞれにいろいろとあるだろう。中でも病気になったことがある人なら、おそらく本書の指摘に大きくうなずくに違いない。内科医として米国留学経験もある真野俊樹氏が著した『日本の医療、くらべてみたら10勝5敗3分けで世界一(講談社+α新書)』(講談社)は、日本の医療がいかに国民にとって親身なものになっているかを教えてくれる。

 本書に記されている実際にあったエピソードから紹介しよう。

 ある会社経営者が商談でアメリカに行き、夜に宿泊先の高級ホテルで腹痛に襲われ意識不明の状態になる。気がつくと病院のベッドの上で、すでに緊急手術を終えた後だった。原因は腸間膜動脈血栓症という病気で死の危険もあったそうだ。そして退院時になり、請求書を見て驚く。そこに記されていた金額はなんと約1億円!? 弁護士を入れて交渉し、最終的には3000万円ほどの出費になったそうだ。

 この事例は、お金持ちは優遇されて最適・最先端の医療が提供されるが、一般庶民にとってはその限りではないという米国の医療事情を象徴しているそうだ。

 また日本では救急車は無料だ。しかし海外では有料のケースが多い。その費用はニューヨーク(米国)5万円、バンクーバー(カナダ)6万円、ゴールドコースト(オーストラリア)9万円など、日本人からすると驚きの価格だ。

 本書では、こうした具体事例なども織り交ぜながら、日本の医療の様々な側面(技術・サービス・保険制度・医療施設の数や医療機器の充実度ほか)を世界(米国、英国、ドイツ、フランス、スウェーデン、中国、韓国)の医療事情と比べながら評価していく。その結果は、本書タイトルにもあるように「10勝5敗3分けで世界一」となる。

 中でも日本人に生まれてよかったと思えるのは、著者も強調している「公平性」で世界一という点だろう。コンビニを凌駕する数の医療施設が全国に点在し、3割負担ながらも比較的安価な費用で、「だれでも」「いつでも」「どこでも」医師にかかれる恵まれた国は、日本しかないという事実だ。

 また本書では、日本の医療が「肺がん」「大腸がん」において5年後生存率でトップを誇り、「乳がん」は米国に次いで2位であるなど、がん医療において高度な技術を有していることも教えてくれる。その一方で、日本医療のマイナス面や課題(薬を出し過ぎる、緊急時に病院をたらいまわしにされる他)の指摘も忘れてはいない。

 なにより頼もしく感じるのは、著者が「医師道」と表現する、日本人医師たちの根底にある利他精神だ。本書によれば、日本人医師の収入は一般のサラリーマンよりは高いが、米国の専門医師に比べればかなり少ない報酬である一方で、労働時間は世界トップの長時間勤務という環境にある。そうした中でも世界一の医療水準が保てる背景には、「医師道」という志を忘れない、日本人医師の存在があるからだという。

 普段は当たり前のように感じている日本の医療とサービス。本書を読むと、その裏には様々な医療従事者の努力や国の配慮があることが見えてくる。こうした日本の医療を維持し成長させるために、国民はどうするべきか? ぜひ、本書巻末にある著者の提言も一読して、医療大国ニッポンを誇りにしていきたいものだ。

なぜ、児童相談所にも格差が生まれてしまうのか――その現状と解決策とは

日々起こる子どもたちを巻き込んだ事件や事故の数々。親の虐待、貧困、子どもの非行、置き去り、疾患などの理由から一時的に家族や社会から保護することが必要であると判断されると通常、子どもたちは児童相談所に併設された一時保護所に行くこととなる。

 なかなか外部に内情が公表されにくい一時保護所の実態を、保護された子ども、保護所の職員、里親という異なる立場の人間から話を聞くことで明らかにした本がある。『ルポ児童相談所-一時保護所から考える子ども支援』(慎泰俊/筑摩書房)だ。告発本やニュースから見える部分的な姿ではなく真実の姿を伝えたいと、100人以上もの関係者からのインタビュー、住み込みと訪問により、偏りのないリアルな実態が明らかにされている。多角的に現状を捉え、一時保護所の暗部だけではなく良い点もしっかりと把握できているため、より具体的に改善策が提案されているのだ。

 問題が起こり解決へと向かうためには、まず事実を正確に知ることをしなければ始まらない。しかし児童相談所の内部の取材はとても難しい。“児相たたき”をするマスコミが多いことでさらに取材が困難となる中、これだけの内情と多くの人の言葉を得ることができた理由には著者の“社会起業家”である立場が大きく活かされていた。

 児童相談所や一時保護所での職員による暴行事件や性犯罪など、ニュースで目にするものは耳を疑うものばかりだ。実際に著者が出会った子どもたちの中には「あそこは地獄だ」と口にするものもいる。起床と消灯、入浴や遊びの時間が決まっている監視と管理をされた集団生活。テレビを付けたりトイレに行く際には職員の承諾が必要だ。自由時間に使用する紙には通し番号が入れられ、遊びが終わったら回収される。脱走防止に過剰なランニングを強いられることもあるという。虐待などで愛着障害が懸念される子どもでも人に抱き着くことは禁止だ。性問題を防ぐためである。すべてはトラブル防止のためだが、それはまるで囚人のような生活だ。保護は自らの非行が原因の場合もある。しかし多くの場合、被害者なのだ。

 しかし、一方で「安心できた」と一時保護所を評価する子どもの声もあるという事実をニュースで知る機会は少ない。外出も運動も自由。職員に多少の生意気な口を利けるほどの自然な関係。監獄のような施設とはまったく異なった家庭的な雰囲気を持つ施設もある。

 地獄に行くか安らぎの場へ行けるのか、子どもたちには選べない。意思とは関係のないところで行き先が決まり、直前まで自分の明日を知ることもできず、友達との別れの機会も持てないままに知らない土地へと連れていかれる。そして、これから生活する境遇はすべて運命にゆだねられるのだ。

 日夜激務に明け暮れる児相の悪者論を唱えるだけでは子どもたちを助けることはできない。著者は児相格差問題の原因として管理・監督機能が利きにくい構造であること、企業のように監査や株価が存在せずに外部の目が入らないこと、情報確認が進まなくなりガラパゴス化してしまうことを挙げている。そして解決策として児相一極集中の現状を問題とし、体制の整備や里親への支援強化、地域ぐるみの子ども支援など具体的な対策案を挙げているのだ。

 学生時代にたった1~2学年下の後輩という理由だけで殴られたときの理不尽さ、経済的に裕福ではなく親が集めたお金と奨学金でどうにか高校を受けたという経験から身をもって知ったお金の大切さ。そんなかつての経験から著者は「人は生まれながらに平等であり、みなが自分の境遇を否定することなく、自由に自分の人生を決められる機会が提供されるべきである」という想いを引き起こした。そして、その想いは信念となり本書とともに世界の弱者を支援するさまざまな活動へもつながっている。

「生まれ落ちた境遇に関係なく、誰もが自分の運命を勝ち取ることができる世の中を」と望む著者が願うのは課題解決の第一歩として世の中の人が現状を知ることだ。平等を願う著者の偏りのない取材から見る子どもたちの実態を知ることで、あなたも社会養護を考える第一歩を踏み出してみてはいかがだろうか。

大手企業で相次ぐ「労災」問題。私たちの労働環境を守る「労働基準監督官」の実態とは

 電通、三菱電機、パナソニック……大手企業で相次ぐ「労災問題」。政府が基準に考えている「残業100時間未満」も「過労死ライン」と言われ、賛否両論があるようだ。

 そんな時代だからこそ、行政や会社まかせではなく、「これからの働き方」は、もっと自主的に考えた方がいいのではないだろうか? そこで私は、労働基準監督官として労働基準局に勤務していた著者の『労基署は見ている。』(原論/日本経済新聞出版社)をおススメする。

「労働基準監督官の目線で見る職場環境を理解していただくことで、現在お勤めの会社や経営されている会社が、より良い方向性に向かっていく一助になれば」と、著者が情熱をかけて全うしていた「監督官」という仕事、考え方などを豊富なエピソードと共に紹介している本書。実際に勤務した人だからこそ分かる「実態」は、ドキュメンタリー番組のような読み応えがあった。

 労働基準監督官(略して「監督官」)とは、厚生労働省所属の国家公務員のことだ。監督官として採用された後は、全国の労働基準監督署に配属される。(一般的に「労基署」と呼ばれているが、内部の人間は「監督署」と略す)。

 仕事内容をざっくり説明してしまうと「企業の労働環境・条件に違法はないか、良好に保たれているか」を「指導・是正」すること。そのため、監督官は「働くこと」に関する様々な法律や、安全衛生に関する幅広い知識が必要とされ、死亡事故の災害調査なども行う。実際に企業(「事業場」と呼ぶ)を訪問することが基本的な仕事なので外出が多い一方、司法事件を処理するための書類を作成したりと、デスクワークもしている。

 また、チーム制ではなく原則一人で仕事を処理し、監督する事業場の数にノルマも存在する。さらに、労働現場で問題が見つかった際には、その責任者に指導を行う。中には従業員の賃金を未払いのまま逃亡したり、労災を隠蔽したりと、一筋縄ではいかない経営者もいるのだが、どんな時でも毅然とした態度で応じなければならない。高いコミュニケーション能力や臨機応変さが必要な職務である。労災が起こった現場で、ダンプカーに轢かれた被災者の遺体を見ることもあったそうだ(第2章「職場の安全と健康を守る」に詳細が書かれているが、結構ショッキングな内容だった……)。

 読んでいて、率直に「大変だな」と感じた。誰でもできる仕事ではないと思う。
 だが、著者の原論さんはそういった「困難な状況」や「労災による人の死」に直面した時、一層「仕事へのやりがい」を感じるようだ。「働く人が安心して安全に働く職場環境をつくることを目指す」という信条を持ち、現在も同じ想いで、社会保険労務士として活躍している。

 現在、「働き方」は大きく変わろうとしている。行政も動き出した今、「過重労働対策」は企業にとって避けては通れないだろうし、いわゆる「ブラック企業」の情報は「申告常習事業場」としてマークされている。

 変化していく「働き方」を見つめ直すためにも、労基署の実情を知っておくことは、ムダではないのではないだろうか? 日経プレミアの『◯◯は見ている。』シリーズは私の大好きな企画なのだが、本書もやはり、読んで損のない一冊だった。

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